おでかけや観光におすすめの魅力的なスポットをご紹介します。
坂名の由来については諸説あり、江戸時代中期にはすでに坂の由来は不明になっていました。市谷八幡の祭礼でみこしがここで神楽を奏するため、また…
高田馬場から早稲田大学へ向かう早稲田通り沿いを中心とするエリアは、都内有数の古書店街です。 30を超える店舗が軒を連ね、毎年5月には早…
江戸時代の寛永16年 (1639年)には、現在のJR「四ツ谷」のあたり、外堀の内側に四谷御門が造られ、見附番所が置かれて甲州街道の要衝…
伝承によれば、正安2年(1300年)、赤城神社は上野国(群馬県)勢多郡宮城村三夜沢の赤城神社の分霊を勧請しました。はじめは、牛込早稲田村…
明治天皇と昭憲皇太后の事績を永く後世に伝える為に造られました。国の重要文化財である聖徳記念絵画館を中心に、神宮球場やゴルフ練習場、アイス…
夏目漱石が明治40年(1907)から没するまでの9年間を過ごし、『三四郎』『これから』『こころ』などの代表作を執筆した漱石山房の跡で、現…
現在の戸山ハイツ一帯は、江戸時代、徳川御三家の一つの尾張家の下屋敷で、戸山山荘といいます。この下屋敷は尾張家二代藩主徳川光友が済松寺開祖…
徳川家康より鎮護国家の命をうけ、文禄4年(1595)に日本橋馬喰町馬場北(現・中央区)に創建しました。寛文10年(1670)、寛政4年…
文明10年(1478年)に太田道灌が江戸城の鎮守として、鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請したのがはじめで、「市谷八幡」ともいいます。応神天皇・神功…
江戸時代に松平摂津守の上屋敷があり、滝のあるその庭園が、明治時代は「お江戸の箱根」と呼ばれた風光明媚なまちでした。大正から昭和中期にかけ…
落合地域は台地と低地から成り、それらが風情ある坂道でつながっています。うねうねと曲折する七曲坂、もとは野良道で村人の名が付けられたと言わ…
三大将軍徳川家光の命で造られ、現在は牛込見附(飯田橋)から赤坂見附の間が国指定史跡となっています。 春は咲き誇る桜を、秋は紅葉を堪能で…
平成23年(2011)12月に新宿区が制定した、全長約100mの通りの名称です。芸者衆の手配や稽古を行う「見番」が沿道にあることから名付…
正式名『十劫山無量寿院成覚寺』の浄土宗寺院。境内には、幕末の戯作者で「金々先生栄花夢」や「鸚鵡返文武二道」など、当時の世…
浄土宗の寺院。寺の入り口から境内に入ってすぐ左手に、立派な板碑型の『庚申塔』が残されています。これは、区指定有形民俗文化財とされてい…
放生寺は江戸時代(寛永十八年頃)に、現在も隣に位置する「穴八幡宮」の別当寺として開創されました。当時境内には湧き水をためた放生池があり……
諏訪神社はもと戸塚村、大久保村、百人町の鎮守でした。社伝によると、平安初期の弘仁年間(810~24年)に小野篁(たかむら)が大国主と事代…
早稲田・高田馬場は、早稲田大学を中心とする学生街。まちが一体となり、地域通貨の発行や「地球感謝祭」の開催などの活動も行っています。 学…
奔放な線描と大胆な色彩表現によって知られる洋画家・佐伯祐三(1898~1928年)の旧居跡は現在、新宿区立『佐伯公園』となっおり、再整備…
自証院は、寛永17年(1640年)、尾張藩主徳川光友の夫人・千代姫の母、自証院を供養するために創建された寺です。最初は日蓮宗「本理山…