もと麹町貝塚にあった『愛染院』は、江戸城の拡張工事のため、寛永11年(1634年)、この地に移りました。新宿区指定史跡の『高松喜六の墓』と『塙保己一の墓』が残されています。
浅草阿部川町の名主・高松喜六は、内藤家の四谷屋敷北側に宿場の開設を許されました。墓石に「内藤新宿開発人高松金八友常」と刻まれているように、喜六はまさに内藤新宿の“生みの親”というわけです。
一方、塙保己一は幼い頃に肝臓を病み、7歳で失明。13歳で江戸に出て、音曲・鍼医術を修め、国学、漢学、和歌、医学など幅広く学びました。和学講談所を設立して多くの門人を指導し、41年の歳月をかけて編さんした「群書類従」を刊行した苦学の人です。
郵便番号 | 〒160-0011 |
住所 | 東京都新宿区若葉2-8-3 |
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