小説家島崎藤村(1872~1943)が、明治38年5月より翌39年9月までの時期に住んだところです。信州小諸で一家をなし、執筆生活を送っていた藤村は、明治38年5月、執筆中の小説『破戒』を完成させるため、家族を連れて上京しました。困窮の生活に耐えながら専心に執筆し、ついに脱稿したのが、この西大久保の地です。この地を藤村に世話したのは、明治学院大学の学友で、画家の三宅克己です。
三宅はその著『思い出づるまま』に、「私が大久保の静かな植木屋の地内の新築家屋を発見してお知らせして、その所に住まわれることになったが、藤村さんも未だ幼少なお嬢さん達を引き連れ、不安の思いで上京されました。間もなく引き続く不幸が重なり、とうとう大久保の住居も見捨て、今度は賑やかな粋な柳橋の芸者屋街に移転された」と書いています。不幸とは、極貧による栄養失調で三人の娘を失い、妻も目が見えなくなったことです。明治39年浅草新片町に転居しました。
郵便番号 | 〒160-0021 |
住所 | 東京都新宿区歌舞伎町2-4 |
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