明治19年長野県に生まれた松井須磨子(本名・小林正子)は、24歳のとき、坪内逍遙が余丁町につくった文芸協会演劇研究所の第一期生に合格し、新劇女優としての第一歩を踏み出しました。44年、第一回公演の「ハムレット」でオフェリアを好演。大正2年に島村抱月と文芸協会を去って芸術座を組織し、全国的な人気を博するとともに、新劇の社会的な地位を高めました。
抱月が同7年に病死すると、翌8年、須磨子は34歳の若さであとを追いました。遺書には抱月とともに埋葬してほしいとありましたが、周囲の反対でかなわず故郷に葬られ、のちに多聞院に分骨されました。
多聞院には、江戸八十八カ所霊場めぐりの開祖、伝燈阿闍梨の墓と供養塔などがあります。
郵便番号 | 〒162-0851 |
住所 | 東京都新宿区弁天町100 |
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