尾崎紅葉がこの地に住んだのは、明治24年2月、二十五歳のときからです。紅葉が当時盛んになってきた言文一致の文章を用いだしたのが、『二人女房』(同年8月―)からであるから、紅葉なりの新しい文体は牛込移住と並行してはじまったといえます。
その後『心の闇』(明治26年)、『青葡萄』(同28年)などの代表作を生み、同29年2月からは、言文一致の労作『多情多恨』を執筆。翌年1月に書きはじめた『金色夜叉』の完結をみず、同36年10月30日この地に没した。紅葉の家は鳥居家となっているが、紅葉がふすまの下張りにした俳句が二枚残っています。それは「初冬やひげそりたてのをとこぶり十千万はしたもののいはひ過ぎたる雑煮かな十千万堂紅葉」というもの。十千万堂とは、緑山・半可通人などとともに紅葉が用いた号です。
郵便番号 | 〒162-0831 |
住所 | 東京都新宿区横寺町47 |
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