おでかけや観光におすすめの魅力的なスポットをご紹介します。
昭和3年(1928年)に再建された慰霊碑で、日露戦争で内藤新宿町から出征した方の名前が記されています。出征していく兵士や家族の心情、絆を…
嘉永5年(1852年)、鈴木主水と内藤新宿橋本屋の遊女白糸との情死話を基にした芝居が大成功したお礼として、歌舞伎役者・二代目坂東秀花が成…
区内では数少ない江戸時代の建築で、全体に過度な装飾をさけ、重厚な門構えをみせています。構造や形式、門に掲げられています扁額(へんがく)の…
大正11年(1922年)に陸軍士官学校馬術教官部の教官と馬丁が、飼育していました軍馬の供養のために建てた慰霊碑です。土中にはたてがみを埋…
寛政2年(1790年)に鋳造された高さ124㎝、口径68㎝の銅造の梵鐘(釣鐘)です。江戸時代後期の鋳物師・西村政時の作で、梵鐘に刻まれた…
昭和31年2月、この地で古代人の住居跡が発見された。明治大学教授後藤守一氏を団長に調査団が組織され、調査の結果、「戸山ヶ原上の台遺跡」と…
文明10年(1478年)に太田道灌が江戸城の鎮守として、鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請したのがはじめで、「市谷八幡」ともいいます。応神天皇・神功…
小説家・随筆家小泉八雲(1850~1904)が晩年に居住し、亡くなった場所。明治29年(1896)9月、東京帝国大学講師に招かれ、松江…
小説家島崎藤村(1872~1943)が、明治38年5月より翌39年9月までの時期に住んだところです。信州小諸で一家をなし、執筆生活を送っ…
銀行員として渡仏していた永井荷風が、明治41年に帰国して大正7年築地に移るまでの約10年間を過ごした地。慶応大学教授として教鞭をとるかた…
『水道碑記』は、新宿通りの新宿区四谷区民センター内にある東京都指定文化財です。 ここは、江戸時代に玉川上水の水量や水質を管理した…
浄土宗の寺院で、正式には『明了山正受院願光寺』といい、文禄3年(1594年)に創建されました。 『奪衣婆像』は、三途の川のほとりで…
日蓮宗の寺院で、天正13年(1585年)に日立上人によって創建されました。寺の前庭の植込みに見える石碑には、狂歌師便々館湖鯉鮒の「三度た…
もとは、新宿西口の「新宿エルタワービル」付近にありましたが、現在は蓋をされて、同ビル西南隅の植栽にモニュメントが建てられています。 こ…
漱石は、明治38年(1905年)から翌年4月にかけて「ホトトギス」に連載した「吾輩は猫である」によって文豪として名を馳せるようになり、東…
江戸時代中期の和算家、関孝和は通称を新助といい、自由亭という号をもっていました。寛永19年(1642年)、上野国(群馬県)に生まれました…
明治19年長野県に生まれた松井須磨子(本名・小林正子)は、24歳のとき、坪内逍遙が余丁町につくった文芸協会演劇研究所の第一期生に合格し……
この地は、室町初期に上野国(群馬県)の大胡(のち牛込)氏が築いた牛込城の跡といわれ、光照寺は正保2年(1645年)に神田から移転してきま…
文化13年(1816)造立。青面金剛像の下に邪鬼と三猿を配し、左右両面に道しるべが刻まれています。右側面に「右さか下道」、左側面に「左ぞ…