吉田松陰らに影響を与えた尊王思想家、山県大弐の墓があります。
山県大弐は、江戸時代の経世家、儒学者である。享保10年(1725)に甲斐国(山梨県)竜王に稀、郷里の加賀美桜鴻、五味釜川らに和漢の書を学び、京都へ出て有職故実を修めました。二十七歳で江戸に出て四谷坂町に住み、同町の岩槻藩主大岡忠光の医臣となりました。その後、八丁堀に私塾を開き、儒学・軍学などを講じた。竹内式部の宝暦事件に際し著した『柳子新論』は、朱子学的大義名分論により尊王を説き、幕府政治を批判したもので、尊王思想として反対派により幕末に訴えられました。明和3年(1766)に捕らえられて翌年四十三歳で処刑されました。これを明和事件という。大弐の没後百年で明治維新が成し遂げられました。
墓は夫人の里方の菩提寺である全徳寺にあったが、廃寺となったためここに移されました。
郵便番号 | 〒160-0006 |
住所 | 東京都新宿区舟町11-6 |
最寄駅・アクセス |
|